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<<   作成日時 : 2009/07/20 08:48   >>

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3連休 皆様 如何お過ごしでしょうか?

喜音院様からのコメントが少しの間無かったのでおや?と言う感じでしたが、17日の金曜日にとても詳細に記載して頂き、感謝しております。継続していく上での励みになります。しかし本当にお詳しいですねぇ。素晴らしいです。

喜音院様からのコメントの内容を踏まえれば次は 「十三鐘」 となるところなのでしょうがそれは次回以降に譲り今回は 「別世界」 にさせて頂きます。


07B04

2010/4/4
喜音院様から 歌詞・解説を頂戴しましたので追加記載させていただきます。
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 Special thanks to 喜音院 様  
                        2010/4/4
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「別世界」の歌詞と内容が分かりましたので、掲載させて頂きます。

風鈴リンのお足も取れて時の用
花を惜しむ月も由なし
ただ一人退(の)いて長者にならぬが誠
戴いていても飽きのない
大事の大事の男の名でも
入れ黒子(いれぼくろ)には様付けず
腕に滲み込む藍上がり
今奥様と言はれていたら、肥えであろうもの
コレノウ、ヤイノ、
父(とと)と嬶(かか)とで暮らすがましよ
勝山解(ほど)き洗ひ髪
長髷(わげ)やめてぼっとしょに
形も気散じ気も高う
粋も泊まりの別世界


<作曲者>
峰崎勾当

<曲種・調弦> 
本調子端歌

<作詞>
油屋茂作と近松播磨(東南)の合作。

<初出>
1801年刊の『新増大成のしらべ』


<歌詞大意>
風鈴の短冊の重りにつけた一文銭さえも使ってしまうような貧乏暮らしではあるが、腕に名前を彫ったほどの好同士の庶民的な暮らしは大変気楽で、遊女の苦界とはほど遠い別世界のようだ。好きでもない金持ちに身請けされて奥様と呼ばれるような暮らしをしていたら、この藍色の入墨のあるように肥えてはいられなかったであろう。

  <解説>

おそらく浄瑠璃の文句を地歌化したものであろう。「様付けず」は腕に彫る好きな男の名には様を付けないことによる。入れ黒子は入墨のこと。勝山は遊女勝山が結ったことに始まる贅沢な髪型で、野暮な「ほっとせ髪」に対するもの。



喜音院様、ありす様のご努力により、私の至らぬところを補っていただき、本当に有難うございます。今後ともよろしくお願いいたします。


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
 ちょっと文献を探したのですが、この曲についてはあまり記述がありませんねぇ。

 でも録音を探してみると、初代富山清琴、菊茂琴昇、西松文一(この方は私全く存じませんが…)等あるので決して遠い曲ではないと思うのですが。

一応概略は、油屋茂作、近松東南作詞。峰崎勾当作曲。内容は、「貧乏暮らしをしながらも気苦労のない現状を別世界と感じ、感慨にふける夏の夜の情趣を歌う。」とあります。
喜音院
2009/07/25 14:31
 以前もうしましたが、私手事以外の生田物で、端唄や芝居歌などは片手間の作品と思っていたのですが、全く思い違いでした。よくよく調べれば、江戸成立の長唄や、小唄、端唄と、京、大阪の長歌、端歌は別物なのでした。

 こうして聴いてみるとかなり主張のある作品ですね。
歌詞ははっきりと全部は分からないのですが、「大事の大事の男」のあたりはかなり特徴がありますね。そこが一曲の頂点のようです。「とと(父)とかか(母)とで暮らすがましよ。勝山ほどいて払げ髪。長わげ止めて云々」という歌詞から察して、この歌の主人公はもと遊女のようですね。

 
喜音院
2009/07/25 15:02
 一体峰崎の曲は、鄙びた素朴な旋律の中に非常に高雅な精神が感じられます。といっても、「残月」は荘重ですし、「ゆき」は流麗ですが。

 先に申しましたが「シャン」としめて「大事の大事の」と高く出て、それから身の上を歌う所は、手事物の歌詞とは全く反対の直接的表現で義太夫節のクドキのようです。

 この曲も「越後獅子」の歌詞「越後の獅子は、牡丹は持たねど富貴は、おのが姿に咲かせ」に似た心を感じます。師匠(豊賀検校)にはやく死なれ、大きなスポンサーーに恵まれず、検校になれなかったことを考えると(生没年すら不詳)なかなかご苦労が多かったと想像されます。
喜音院
2009/07/25 15:26

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