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<<   作成日時 : 2011/07/16 22:55   >>

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地唄FAN管理人です。皆様如何お過ごしでしょうか?
大震災後 気力が無く長いこと更新を怠っておりましたが、本日 新たな曲をアップさせていただきます。
先日 ある方の舞台を拝見し、とても印象的で元気を頂いたことが、大きなきっかけになりました。誠に有難う御座いました。

再開第1曲目は富山 清琴師による「薄雪」です。「薄雪」と言うと箏組歌を想起されると思いますが、この曲は全く別の三絃による曲です。かなり長い曲ですがじっくり聴いていただければきっと強い印象をお持ちになるだろうと思います。


13A01

この曲をアップするについては、喜音院様に歌詞、その他の情報のご提供をお願い致しました。大変なご尽力を頂きましたことを、心から感謝申し上げます。有り難うございました。

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  Special thanks to 喜音院様  

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三部構成

序の巻:二上り 「旅立ちに日の良し悪しを〜」
中の巻:本調子 「かかりざりせば何として〜」
奥の巻:本調子 「里の子供の声々に〜」



序の巻

 旅立ちに、日の良し悪しを選ばぬは、落人の身の常なれや。夫婦(めおと)が世話に薄雪姫、足は向ふへ歩めども、心は元の京にある、舅の言葉用いずば、縁を切るぞとおどされて、父上の御別れ、母様のお歎きも知らぬ徒歩路(かちじ)を道しるべ。右よ左よ妻平が、はんちゃ合羽もくろう(黒・苦労)せし、在所の妹、妹聟(いもとむこ)にかかる身の上頼まんに、否は言わじや。去りながら、三歳(みとせ)余りは音信(おとずれ)も、たへま(絶え・当麻)を指して行く道の、心遣いぞ理(ことわり)なる。

中の巻

 かからざりせば何として、いつかはここにこほり(来う・郡)山。日は暮るれども町なれば、一夜なれども泊まられず。、小泉とても同じこと。宿を借ろうより幸いに、衆生を救ふ辻堂の、地蔵格子(じぞうごうし)を押し開けて、宿りの仮の一寝には、薄き合羽も妻平が、厚き忠義の夜の物。夫婦(めおと) が左右に殿居して、寝まいと思へど気くたびれ、夢や人目を守るらん。

 神ならぬ身は、是非もなや。かくぞとも知らず、園部左衛門は、積もる思ひのやまと(山・大和)路に出る月さへ朧にて、身の言訳も晴れやらぬ、桂男の妻平が、しるべを求め寄るならば、、都の伝手を尋ねんと思ふ、思ひはますらお(増す・丈夫)が弥猛心も恩愛に、迷ふ夜道もはかどらず、今は仇なるこいずみ(恋・小泉)の恋しき人は辻堂にありとも知らず行過ぐる、本意(ほゐ)なさ言はん方もなし。

 姫は夢覚め走り出で、「左衛門様はいづくに」と呼べど叫べど行過ぎて、それと答へもなき(無き・泣き)声に、夫婦驚き抱きとめ、背な撫でさすり労はれば、やうやうに心付き、「さては夢にてありけるか。所はいづくと知らねども、左衛門様の仰せには、『明日は逢はふ』とのたまひしにを、現(うつつ) のやうに思はれて、夢に偽りなきならば早ふ逢ひたい、顔見たい。」と、かこち涙に妻平も、共にしほるる気を取り直し、「必ず歎き給ふなよ。暇取るうちに夜明けの烏」かはい(かはい《烏の鳴き声》・可愛い)殿御に逢ひたい思ひ。いとしい姫に逢ひたい思ひ、思ひは同じ道筋を、一里隔てて行き越す園部、この憂き旅を世に出でて、大和巡りといふならば、古き名所を尋ねんに、今は都へ伝手もがな。二人の親達、姫のこと、アア尋ねたや聞きたやと、立ち止まりては跡見返り、足もしどろに行き悩む。

奥の巻

 里の子供の声々に、「『富士は妹背の橋とは言えど、口説の端になる鐘は、何時じゃ、』『明けぬうち』『エエ憎体(にくて)らし、なんじゃいな。』『月は忍ぶに辛ひと言へど、せめて逢ふ夜は驚かす』『誰さんじゃ』『夜這い星』『エエ憎体らし、なんじゃいな』」唄ふ唱歌も身に染みて、薄雪涙に暮れながら、「過ぎし逢ふ夜の睦言に、『二世や三世は愚かのことよ。今度の、今度の、つっと今度の、その先の世までも、必ずやいの』と言ふたれば、『嘘じゃないかや、本にマア』と、のたまふ時の嬉しさを、悦ぶ間もなく、」

 二人が浮名、たつた(立つ・竜田)の川を徒歩(かち)わたり。裾をからげて抱え帯、結ぶとすれどしゃら解けの、ばっとの裾をわやくの風、衣紋りりしく抜きかけし、かたおか(肩・片岡)山の方々(かたがた)に後や先なる憂き思ひ。しばしも袖に乾(ひ)るめ無く、涙に続く町も過ぎ、やがて当麻(たへま)に着きにけり。



作曲者:峰崎勾当
作詞者:浄瑠璃『新薄雪物語』の「道行」から、一部改変

 
現代語訳

(薄雪姫の視点)

 旅立ちの時に、日取りの良し悪しを選べないのは、落人の身の常である。妻平、籬夫婦に介抱されながら薄雪姫は、足は先へと歩んでいくが、心は元の京にある。舅(園部兵衛)の言うことをきかなければ、親子の縁を切るぞ、と言われ(落人の身となり)、父(幸崎伊賀守との死別れ、母親の歎きも知らない。そして、見知らぬ野路の道しるべは、右、左と案内する黒いはんちゃ合羽を着た妻平である。苦労の多い田舎暮らしの妹夫婦に、世話にならねばならなくなった身の上を頼んでも、否とは言わないであろう。しかし、三年余りは音信も絶えていたので、当麻を指して進んでいく道々、そのことを気遣うのも道理である。

 こういうことがなければ、いつ、ここ、郡山に来ようと思うであろうか。日は暮れてしまったが人目の多い町なので、一夜たりとも泊まることができない。小泉とても同じことである。宿を借りるより、幸い、衆生を救う辻堂がある。その地蔵格子を押し開けて(入り)、仮寝には、妻平の、薄いが、厚い忠義のこもった合羽をかけて、夫婦が左右に殿居しつつ、(姫は)寝ないでいよう思ったが、気がくたびれ(寝てしまっ)た。夢は人目から守ってくれるであろうか。


(園部左衛門の視点)

 神ならぬ人間では、如何ともできない。園部左衛門は、姫も落人の身であること、舅と父親が自害したとことも知らず、思いは山のように積もり、大和への道筋に現れた月さえも朧のように、自分の身の曇りも晴らすことができない。桂男(月−桂の縁語。美男の意)の妻平の縁者を尋ね、行き着いたら、都の噂を聞いてみようという思いは増すばかりである。ますらおの矢猛心も(親々や姫の)恩愛に引かされて、迷いつつ夜道を歩いて行くのではかどらない。小泉まで歩いてきたが、今は仇となった恋の、その相手が辻堂にいるとも知らず行き過ぎてしまう。残念さは言葉にすることもできない。


(薄雪姫の視点)

 姫は夢覚め、辻堂から走り出て、「左衛門様はどこに」と呼び叫んだが、答える声もなく、泣き声を聞いて妻平夫婦は驚いて抱きとめ、背中をなでさすりいたわれば、ようやく姫は落ち着き「さては夢だったのね。場所は分からないけれど、左衛門様は『明日は逢おう』とおっしゃったのを、現実のことに思われて…、『夢に偽りはない』というなら、早く逢いたい。顔が見たい」と泣きかこつ涙に、妻平夫婦も、ともにしおれるが、やがて気を取り直し、「必ず、お嘆きなさいますな。こうして時を過ごすうちに夜明けの烏が…」可愛いと鳴くように、愛する左衛門に会いたい思い、片や愛する薄雪姫に会いたいという同じ思い。

(園部左衛門の視点)

そして同じ道筋を、一里隔て先へ行く園部は「この物憂い旅を終えて(疑いも晴れ)、大和めぐりでも、というならば、古い名所でも訪ねてみたいものだ。今は都に便りをするよすがもあれば…、ああ、姫はどうしているだろうか、尋ねたい、どうしているか聞きたい」と後ろを振り返っては、立ち止まり、足取も乱れて行き悩む有様である。

(薄雪姫の視点)

里の子供が、声々に、「『富士は妹背の橋とは言えど、口説の端になる鐘は、何時じゃ、』『明けぬうち』『エエ憎体(にくて)らし、なんじゃいな。』『月は忍ぶに辛ひと言へど、せめて逢ふ夜は驚かす』『誰さんじゃ』『夜這い星』『エエ憎体らし、なんじゃいな』」と唄う唱歌も自分の身につまされて、薄雪姫は「いつの日か、夜の睦言に、(私が)『二世や三世は愚か、今度の、今度の、つっと今度の、その先の世までも、必ず(一緒に結ばれましょう)』と言ったら、(園部左衛門様が)『嘘じゃないか、本当か』と、おっしゃった時の嬉しさを、喜ぶ暇もなく…」
二人の浮名が立ってしまった。竜田川は歩いて渡るので、(姫は裾を端折るため)抱え帯をしようとするが、自然にほどけ、許されぬ裾をいたずらな風が煽るが、衣紋を肩からりりしく抜きかけた姿。片岡山のあたりを過ぎながら、あれ、これと、後になり先になる憂き思いから、少しの間も袖が涙で乾かない。涙ながらに町々を過ぎようやく当麻に着いたのだった。


<参考:『新薄雪物語』について>

寛保元年(1741)5月16日、竹本座初演。作者は文耕堂・三好松洛・小川半平・竹田小出雲(二代目出雲)。
 近世初期の恋愛小説『薄雪物語』を改作した小説『新薄雪物語』(享保元年=1716)の浄瑠璃化。但し筋立てその他清水見染めの場面以外は、小説とは全く異なる。
 角書に「時代・世話」とあり、鎌倉時代の設定でありながら、時代物の五段形式によらず、世話物風、ないし上方元禄歌舞伎三番続き風の、上中下三巻形式をとる。
 『当世芝居気質』(安永6年=1777)に、「人でしたことを人形へ引直そうふと思へば…薄雪団七といふ浄るりは、元は歌舞伎で仕た狂言を伏向筆(うつむけふで)さきのあやつりを仕組(しぐみ)役者のおもひいれを文句に勘弁せし上作、是等を手本として歌舞伎狂言を操りに引直したがよい」という。「団七」は、元禄11年(1698)大阪片岡仁左衛門の団七の狂言を浄瑠璃化した「夏祭浪花鑑」(延享2年=1745)をさすが、「薄雪」のもととなる歌舞伎狂言は明かでない。

  『竹田出雲・並木宗輔 浄瑠璃集(新日本古典文大系93)』(岩波書店、1991、※歌詞採取もこの本による:喜音院)

※愛し合う二人のすれ違いを表現するという珍しいシチュエーションの道行きなので、、原文理解のため、現代語訳に(薄雪姫の視点)(園部左衛門の視点)という具合に付け加えました。
 富本節にこの『新薄雪』「道行」の改曲作(「歌枕恋初旅(安永8年市村座)」)があるということで(『竹田出雲・並木宗輔 浄瑠璃集(新日本古典文大系93 岩波書店、1991)』、その人気から、後続の類似作品がいくつか作られたのかも知れません。峰崎の「薄雪」も、繁太夫節として伝えられるので、一中節系統の演奏者の改作を借りた可能性が考えられます。:喜音院



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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
管理人さん、更新お疲れ様です。
喜音院さんはやはりすごいですね。
お疲れ様でした。

峰崎は端歌物、手事物双方の
大阪での大成者ですが、
地歌のユニークなジャンルである
繁太夫物でもこのような大曲を
残していることは驚きです。
喜音院さんのおっしゃるように、
他の浄瑠璃系地歌と同じく、
実質的には改調という形の可能性は
高いとは思いますが。

繁太夫物は若いころは今一つ
よくわからなかったのですが、
地歌の中でもいろいろなジャンルに
このブログで接することができ、
ようやく入り口に立っているかな、と感じます。
富筋といえば繁太夫物、と
清琴さんの芸談でもおっしゃっておられましたが、
言葉の表現という点においてやはり富筋は
独特の味がありますね。
こうした伝統が絶えないことを祈りたいです。

話題がちょっと離れるのですが、
Firefoxで書き込みができず、IEで書き込みしました。
クッキーなどの許可の設定が以前と
変わったのかもしれないですね。
ありす
2011/07/17 11:07
管理人さんお久しぶりです。
三連休はいかがお過ごしでしょうか?
そして久しぶりの更新、おつかれさまです!
お元気でしたか??

今年の震災以降色々の影響があって、なかなかブログにコメントものせられず、お恥ずかしいです。

繁太夫物を普段聞く機会は、本当に皆無ですよね。
地歌にも年毎に「はやり」というのでしょうか、流れがありますけど、半太夫とか繁太夫物はそうした流れでも演奏されることは全くないのでちょっと残念です。

ただ弾けば誰でも弾けそうですけど、これだけ長いと聞かせる能力がないと難しいですね、本当に。聞いてる方が苦痛になります。喜音院さんの解説も相変わらずスゴいです。とても勉強になります。お元気そうで何よりです。

先日ある本で「楯筋」と「玉筋」の話を読みました。
「富筋」「菊筋」はよく聞きますが、どんな曲を伝承されているのでしょうかね? いやー地歌は本当に奥が深いですね。
僕の方は最近は「深夜の月」に取り組んでいるところです。
またいつか初心者向きの曲もアップしていただけると励みになります。
raimund
2011/07/18 13:52
地唄FAN管理人です。

ありす様が仰るとおり、喜音院様に多大なご協力を頂戴しました。誠に有り難い事と感謝しております。本当に大変だったと思います。
この場をお借りして、喜音院様には改めて感謝の意を表したいと思います。

繁太夫物はとても素人が手を出せるレベルの曲ではなく、従って地唄・筝曲を目指される方々もあまりご存知ないのが実態と思います。
また唄の力、語りの力が無ければ箸にも棒にもかからないので、なかなか最近ではプロの方々も敬遠される傾向が強いのでしょう。
確かに「苦労した割には一般受けしない」と言うのが正直なところ。この様な貴重な音楽が瀕死の状態にあるのは我々聴衆の側の力の無さの反映と言うところも大きいと思います。

このブログを聞いて少しでも「繁太夫物」って面白いと思ってくださる方が出てくるのを期待しております。

私はFirefoxで問題なく書き込めていますが・・・少し設定が異なるのかもしれませんね。パソコンは難しい・・・

今後とも何卒よろしくお願い致します。

ありす様 コメント有難う御座います。
2011/07/18 16:18
地唄FAN管理人です。raimund様 コメント有難う御座います。

三連休はいかがお過ごしでしょうか?
>管理人です
この三連休は暑すぎて自宅に篭っております。今後の更新に備えて楽曲の準備中というところでしょうか?
お陰様で体的には全く問題なく元気だったのですが、大震災後気力が復活せず、更新を怠っておりました。raimund様なども色々有ったようですね。あれ程頻繁にコメントしてくださっていた皆様が、完全に沈黙されてしまったので非常に心配しておりました。

喜音院さんの解説も相変わらずスゴいです。とても勉強になります。お元気そうで何よりです。
>管理人
今回の「薄雪」の解説に関して喜音院様には本当に感謝しています。あの解説が有るのと無いのとでは同じ曲を聞いても全く理解度が異なるでしょう。本当に有り難い事と思います。皆様からの歌詞や解説のご提供、色々なコメントなどが有るので、初めてこのブログに来られた方々も興味を持ってご覧になられていると思います。

僕の方は最近は「深夜の月」に取り組んでいるところです。
またいつか初心者向きの曲もアップしていただけると励みになります。
>管理人
そう言えば「深夜の月」はまだアップしてませんね。検討します。「初心者向きの曲」のご希望を頂きましたが、具体的にはどの様な曲をイメージされていますか?よろしければ教えてください。よろしくお願いいたします。
raimund様 コメント有難う御座いま...
2011/07/18 16:37
初めて聴かせていただきました。
大変、重い、、曲、という感じがしました。 大曲。。
さすがは、富山清琴師。。。

師には、いつもいつも、びっくりさせられます。
地唄の幅広さ、奥の深さに、驚かされます。。
すごい方、ですね。すごい力、、、ですね。。。

富山清琴師の演奏を聴いていると、情景が鮮やかに浮かんできます。簡単に表現力、なんて言えない力、だと思います。

芝居の“新薄雪物語”は、観たことがあり、ある程度は知っていましたが、地唄にこんな大曲があるとは、「露知らず、、、」でした。
芝居のほうは、“左衛門と薄雪姫の恋”も、ですが、双方の親が、子供を救うため(?申し訳のため?)、お家への忠心のため、陰腹を切って、という場面が壮絶で、印象に強く残っています。昔の人の考えることって、、、と、口あんぐりで見ていたことを思い出しました。(横道。。)

喜音院様、とても丁寧な解説、、各々の視点が書かれていて、心情、情景が、良く分かります。いつもながらの、博識。さすが、、、ですね。。。(人^ω^)
happydance
2011/07/30 23:53
地唄FAN管理人です。

happydance様 コメント有り難うございました。「薄雪」は大曲ですので全体像を把握するのもすぐには出来ないと思いますが、有り難うございました。

喜音院様の解説が無ければ、その理解もなかなか進まないと思います。本当に有り難いことです。
この様な曲は素人が手を出せる類の物ではありませんが、それだけに地唄の奥深さを感じさせてくれると思います。

今後ともよろしくお願いいたします。
happydance様 有り難うございま...
2011/08/01 16:49

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