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<<   作成日時 : 2010/11/17 08:04   >>

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地唄FAN管理人です。

皆様 如何お過ごしでしょうか?本日は富山 清琴師による「帯屋」をアップいたします。

なおこの曲の歌詞、その他の情報はありす様のご協力により掲載することが出来ました。
皆様方からのご協力により、このブログも益々充実してまいりました。誠に有り難うございます。

この辺の曲になってくると「地唄にはこんな曲もあるの?」と思われる方も多いと思います。普段はなかなか聴く機会が無くなってしまった曲ですが、ますます地唄の奥深さを感じさせてくれると思います。


13A02

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  Special thanks to ありす様  

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[歌詞]
親の慈悲、心身にこたへ差しうつむいたる夫のそば、
言はんとすれど胸ふさがり、しばし言葉も、なかりけり。

これ、もうし、長右衛門様(さん)、道理は道理なれど、
お前はきつう済まぬ顔、

必ずひょんな思案なぞ、
怪我にも出して下(くだ)しゃんすな。
姑女御(しゅうとめご)や小舅(こじゅうと)に、
つらい気兼ねの辛抱も、お前といふ人あればこそ。

十年連れ添ふ女房の手前、立たぬことも何(なん)にもいらぬ、
おやま狂ひや芸妓(げいこ)遊びは、
そりゃ殿たちの器量といふもの。

お半女郎と二人が仲、ひょっと私が知ったかと、
言訳けにさしゃんす媒酌(なこうど)、
愚鈍な者でも女房と、思うての心遣ひを、
わたしゃ心で拝んで居りました。
その返報でなけれども、縁組を変改(へんがえ)は、
年端もゆかぬあの子でも、もしやお前の楽しみに、
なりもせうかと心の奉公、わしゃ疾(と)うから知っては居れど、

悋気(りんき)どころか顔へも出さぬは、
気の毒がらすが笑止やと、結構な舅御や、

意地くね悪い姑女御(しゅうとめご)の、
耳へ入ろかと、それが悲しさ、私も女子(おなご)の、端(はし)じゃもの、
大事の男を人の花、腹も立つし、悋気(りんき)のしやうも、まんざら知らぬで、
なけれども、可愛(かわ)い殿御に気を揉まし、煩ひでも出やうかと、

案じ過ごして何(なん)にも言はず、六角堂へお百度も、

どうぞ夫に飽かれぬやう、お半女郎と二人が名さか、
立たぬやうにと願立(だ)ても、

はかない女子(おなご)の心根を、
不便(ふびん)と思ふていつまでも、

見捨てず添うて下しゃんせ。

夫の膝にうち伏して、

口説(くど)き、嘆くぞ道理なる。



[調弦] 本調子

[作曲] 不詳

[作詞] 菅専助または近松東南

[初出] 地歌としては、天保7(1836)年版の『新増大成糸の節』

[他]
本調子繁太夫物。浄瑠璃「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」の
下の巻の「帯屋の段」の中の、女房お絹のクドキを原拠とするもの。
浄瑠璃としての初演は安永5(1776)年大阪北堀江座で、
後から作られた豊後系浄瑠璃のお半長右衛門の道行も有名であるが、
義太夫節としては、この帯屋の段が有名で、その中でもいわゆる
サワリであるこのお絹のクドキを地歌に取り入れるに当たって、
繁太夫ふうに節付けしたものと思われる。
ただし、地歌の繁太夫物としての作曲者は不詳。
随所に義太夫ふうの節まわしのところがある。

[補説]
原作上の巻「石部宿屋の段」で、五十男の帯屋長右衛門は、
ふとしたことから、年端もゆかぬお半と過ちをおかし、
同じく「信濃屋の段」で、長右衛門は、女房お絹の弟
才治郎とお半とを縁組させようとするが、
お半は懐妊している。お絹は一切を知り、二人の
浮名が立たぬようにと六角堂でお百度をふむ。
そのあと、ここに取られたクドキを含む
「帯屋の段」となるのだが、長右衛門は、
お半の遺書を見てあとを追い、二人で心中してしまう。
これに、正宗の刀の盗難などの話がからむ。



「地唄FAN」は地唄の音楽事典としてお使い頂くことを目指してます。
以下から一覧表をご参照下さい。

作曲者別一覧表      五十音順一覧表      演奏者別一覧表



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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
全くの素人ですが、御茶屋で、里景色という曲を聴いて探していたらたまたま貴HPを見つけました。(曲名が間違っているのかもしれませんが・・・) まだ一覧表には載っていないのですが、なんとかもう一度聞きたいので、掲載お願いします。
源融
2010/11/21 02:57
地唄FAN管理人です。 源融様 初めまして!
「御茶屋」ですかぁ! 興味深い書き込みを有り難うございました。

源融様 初めまして!
2010/11/21 08:12
繁太夫節を調べましたら次の記事がありました。

 宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)の門弟、宮古路(のちに豊美(とよみ))繁太夫が、元文・寛保(1736〜1744)のころに大坂で創始。その曲節は地歌の中に残る。

私はてっきり繁太夫は一中の一派で、豊後より前だと思っていましたが、豊後の門弟だったんですね。
 豊後節は享保、元文頃の浄瑠璃評に、「河東裃、外記袴、半太羽織に義太股引、豊後かわいや丸裸」というのが残っていて各流派の特徴をうたっています。

 そう考えると、なんだ豊後浄瑠璃と思えばいいんだなぁと納得しました。
喜音院
2010/11/25 00:31
 基本的に都節音階を忠実にたどり、三味線の手数は少なく、哀れを主眼として、要所要所で豊後節系に共通の曲節がありますね。

 で繁太夫節そのものも廃れたというのも、なるほど地味で、時代の趨勢としてはやむを得なかったんでしょうけど、地歌の方に曲調は残ったんですね。逆にいえば地歌奏者にも真似しやすかったんじゃないかと思います。

 こうして聴いてみると、もとの義太夫とは全然ちがうのでしょうけど、確かにクドキだけを独立して作曲すると、こういう単純だけど哀れな雰囲気がまた面白く感じられます。春昇さんもいいけど、清琴さんの方が繁太夫ってこうだったんじゃないかっていう気がします。
喜音院
2010/11/25 00:40
まあ、地歌化していますから、
これだけで繁太夫節を類推するのは
難しいかもしれませんが、
それでも喜音院さんのおっしゃるように、
特徴は伝わる部分もありますね。

なにしろ演奏禁止されたというくらいですし、
その哀感はとても感じられます。
ぽつんぽつんとした手の合間から
立ち昇る唄というのは、地歌の真骨頂ですし、
相性がよかったのでしょうね。
ありす
2010/11/25 01:52
地唄FAN管理人です。私も若干バタバタしており、更新が不定期になってしまって申し訳ないです。 「帯屋」へのコメント有り難うございました。繁太夫節と言うのは独特な感じがあって、他の方々もどの様に自分のなかでとらえて良いかが今ひとつ不明なのかもしれませんね。お二方からコメントが記載されて、他の方も感じたことを書き始めて下さるのではと期待しています。 個人的には繁太夫物は好きなのですが、あまりその事を一緒にお話しできる相手が少ないのが若干寂しい感じがします。少しずつ愛好者が増えてくると良いなと思います。
喜音院様 ありす様 有り難うございました...
2010/11/26 12:33

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