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zoom RSS 葵の上 (山田流)

<<   作成日時 : 2010/04/04 07:02   >>

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地唄FAN管理人です。

皆様からの超積極的なコメントに感激して、頑張っちゃいました。

全くの別曲ですが山田流の「葵の上」をアップ致します。唄・筝:中能島 欣一師、唄:中能島 慶子師、三弦:鳥居登名美師による演奏です。




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  Special thanks to 管理人 千 様  
    (邦楽データベース → 古典データベース) 

          http://www.eonet.ne.jp/~tngk/deta/koten/frame.html

                            (ご紹介者:藤枝 梅安様)
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葵上(あおいのうえ)


一 三つの車にのりの道、火宅の門をや出でぬらむ。
  夕顔の宿の破れ車、やる方なきこそ悲しけれ、
  憂き世は牛の小車の、廻るや報いなるらん。
  廻るや報いなるらん。およそ輪廻は、車の輪の如く、
  六趣四生を出でやらず、人間の不定芭蕉泡沫の世のならひ、
  きのうの花は今日の夢と、驚かぬこそ愚かなれ。

  [合の手]

二 身の憂きに、人の恨みのなほそひて、忘れもやらぬ我が思ひ、
  せめてやしばし慰むと、梓の弓に怨霊の、
  これまで現れ出でたるなり。

  [合の手]

三 あらはづかしや、今とても、忍び車の我が姿。
  月をば眺め明かすとも、月には見えじ、かげろうふの、
  梓の弓の末弭に立ちより、憂きを語らん。
  梓の弓の音はいづくぞ。

  [合の手]

四 あづま屋の、母屋の妻戸に、居たれども、
  姿なければ訪ふ人もなし。

  [合の手]

五 不思議やな、誰とも見えぬ上揩フ、破れ車に召されたるに、
  青女房とおぼしき人の、牛もなき車の轅に取りつき、
  さめざめと泣き給ふいたはしさよ。

六 もし斯様の人にてもや候ふらむ。
  大方は推量申して候ふ、唯包まず名を御名乗候へ。

七 夫れ娑婆電光の境には、恨むべき人もなく、
  悲しむべき身もあらざるに、いつさて浮かれそめつらむ。
  只今梓の弓の音にひかれて、現れ出でたるをば、
  いかなる者とか思召す。
  これは六条の御息所の怨霊なり。

八 われ世にありし古へは、雲上の花の宴、
  春の旦の御遊になれ、仙洞の紅葉の秋の夜は、
  月に戯れ色香にそみ。華やかなりし身なれども。
  衰へぬれば朝顔の、日影待つ間の有様なり。

  [合の手]

九 ただいつとなき我が心、物憂き野辺の早蕨の、
  萌え出でそめし思ひの露、かかる恨みを晴らさむとて、
  これまで現れ出でたるなり。
  思ひ知らずや世の中の、情けは人の為ならず。
  我れ人のためつらければ、必ず身にも報ゆなり。
  何を歎くぞ、葛の葉の。
  恨みはさらに尽きまじ。

十 あら恨めしや、今は打たではかなひ候ふまじ、
  あら浅ましや、六条の御息所ほどの御身にて、
  後妻打の御振舞、いかで、さることの候ふべき、
  ただ思召止り給へ。
  いや、いかにいふとも、今は打たでは叶ふまじと、
  枕に立ち寄り、丁と打てば、此上はとて立寄つて、
  妾は後にて苦を見する。今の恨みは有りし報い。
  瞋恚の火焔は。身をこがす。思ひ知らずや。
  思ひ知れ。

十 うらめしの心や。あら、うらめしの心や。
一 人の恨の深くして、憂きねに泣かせ給ふとも、
  生きて此世にましまさば、水暗き沢辺の、蛍の影よりも、
  光る君とぞ契らん。
  
  [合の手]

十 妾は蓬生の、もとあらざりし身となりて、
二 葉末の露と消えもせば、それさへことに恨めしや。
  夢にだに、返へらぬものを、我が契り。
  昔語になりぬれば、猶も思ひは増す鏡、其の面影の、
  恥しや、枕に立てる破れ車、打ち乗せ隠れ行かうよ。
  打ちのせかくれ行かうよ。

解説

[調弦]
箏:雲井調子−半岩戸調子−斗上り雲井調子−雲井調子
三絃:三下り−本調子

[作曲]
山田検校

[作詞]
謡曲「葵上」より

[他]
山田流箏曲。奥四曲の一曲。
河東節の手や節回しを効果的に利用した部分など謡曲の構成に応じた作曲がなされ、これに歌い分けや調弦の変化などを用いて場面の展開を表現。



インターネット上で見つけた歌詞の解説サイトです。こちらはリンクして参照頂くのが良いのではと思いますので、URLを掲載させていただきます。(山戸 朋盟様のHPより)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/aoinoue.htm#aaa


「地唄FAN」は地唄の音楽事典としてお使い頂くことを目指してます。
以下から一覧表をご参照下さい。

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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
私、葵の上って山田流だけなのかと思ってました。
ってことは昨日のは生田流の葵の上なんですか・・・。
山田流のはすごく格調高い感じに仕上がった曲ですね。
同じモチーフでもこんなに違うのかあ。確かにもう全く別の曲ですね。じゃあ生田流の方は「六条御息所」とか別の名にしてほしいですね。

ありすさん3時の書き込みはすごいですね。
さすがに寝てました。
端歌は短いから、という訳じゃなかったのですね。
とても分かりやすい説明をありがとうございました。
長歌という言葉は初めて聞きました。
もっと勉強します!

で、新ためて葵の上を聞き直してみると、途中の手事部分(梓の弓の音はいづくぞ〜の後など)の旋律すごくないですか? なんか劇音楽風というか、すごく新鮮です! 私、山田流の方が好きかもしれません。
藤枝梅安
2010/04/04 09:55
面白い曲ですね。
昔は山田流の曲って苦手だったんですが、
ほんと最近先入観を捨てて聴くようになってきて
苦手がどんどん減っています。
これからは山田流の曲もしっかり聴いていこうかな。

これ、歌い分けは指定されているのでしょうか?
なんだかすごく効果的で、指定だとすると
凄いな、と思います。

河東節は少ししか聴いたこと無いですが、
でも確かに影響受けている部分はわかりました。
こういうところが昔苦手だった部分で、
今は面白いな、と思う部分です。

しかし、恐ろしく凝った作品ですね。
梓の弓の音の描写あたりから、
すごく繊細な音色変化を利用しています。
山田流って、もっと豪快なイメージだったので、
こういう部分もあるんだな、って思いました。
凄い偏見ですね、すみません。

いや、ほんとちょっと勉強しなおしたいと思いました。
ありす
2010/04/04 09:58
山田流は、文学的には謡曲、浄瑠璃の叙事文で、作曲法も浄瑠璃の手(旋律)を多用するなど、上方筝曲とは全然系統が別個の芸術と考えた方がよいと思います。
 斯く言う私も、義太夫、歌舞伎から入ったもので、筝曲地歌の良さというのがさっぱり分からなかったのですが、色々読んだり、聴いたりして最近やっと馴染んできました。
 流祖の時代には、上方の一中、江戸の河東節を取り入れ、江戸末期から明治初期の中能島松声の作品では豊後系浄瑠璃の影響を顕著に受けてます。
 私は河東、一中に疎いのですが、それでも何となくそれと分かる所があり、要は文章のハコビと、音楽のパターンが一致する所がありますね。文章の分け方がそうですし、今やっと気付いたのですが、「梓の弓の音はいずくぞ」のあとの合の手は河東節っぽいですね。
喜音院
2010/04/05 00:06
で、全然浄瑠璃の類かというとそうでもなくて、合いの手や、「楽」という器楽的箇所は、音楽的にもかなり凝っていて、要所要所でその場面にあった間奏曲として素晴らしい効果をあげていますね。
 それから私、山田流の筝が時々奏でるアルペジオが大好きなんですよね。あれは浄瑠璃に全然ない、素晴らしい装飾ですね。
 この曲もそうだし、中能島松声(欣一さんのお祖父さんにあたりましたっけ?)の「雨夜の月」の出だしはうぉー!とか感じますね。
喜音院
2010/04/05 00:20
そういえば浄瑠璃では歌い分けとかありますが、
山田流筝曲の歌い分けもその影響なんでしょうか?
この曲ではそれがすごく効果的だったもので
気になっています。
ありす
2010/04/05 00:24
 で山田検校らしさというのが、「いや、いかにいうとも」の「いや」の絶唱なんでしょう。あそこは流祖が「吾妻歌」とかなんとか自負するほどの高音、情感で、山田検校の声はどうも、女性のような声だったそうです。

 『浮世風呂』なんかでも「尼駄様」とかいう名前で擬せられて噂話に登場します。そんな感じで江戸時代には、町人の間でも相当流行ったそうです。
喜音院
2010/04/05 00:28
 いやー!面白いですね「葵上」!
あらためて聴いてみると名曲だったんですねぇ。
八の歌詞が省略されているのは、慣例なんでしょうかね?
 今の人には浄瑠璃に馴染みがないから受け入れられにくいかもしれませんねぇ。歌も相当難しいし…。
 
喜音院
2010/04/05 00:32
>ありすさん

ああ、そうじゃないですかね?登場人物が多ければ、そうなると思います。それに多分、発声法が体力的にしんどいとおもうのですよ。だから「近江八景」とか景物でも、一人で出来ればいいけど、楽器演奏もやらなきゃいけないから、分けた方が安心でしょうね。
喜音院
2010/04/05 00:39
>あらためて聴いてみると名曲だったんですねぇ。
全く同感です。
昔は地歌でも語り要素が強いものは苦手だったので、
山田流筝曲ってピンとこなかったのですが、
いろいろと聴いてきた上で改めて聴いてみると
凄い名曲だったことがやっとわかりました。
ありす
2010/04/05 00:39
>喜音院さん
どうもありがとうございます。
そうですね、発声法からして違いますし、
そもそも一人じゃキツいというのも
あるんでしょうね。
それを逆手にとって利用する、
この辺も作曲の上手さなのかな、と思いました。
ありす
2010/04/05 00:41
山田と富山清琴さんの“葵の上”聞き比べました。(と言っても、別の曲、、、ですけれど)
地唄舞の“葵の上”は、何度か目にしているので、山田のものよりは馴染んでいました。
山田は、初めて聞いたとき「江戸の浄瑠璃のようだ」と思ったことを良く覚えています。記述にもありますように、河東節、とか一中節にも、似ていますね。私は、日舞をするので、以前は、山田の雰囲気の方が、違和感はなかったように思います。何年か前に山田流の 亀山香能さんの“葵の上”を聴いたことがありますが、通常は、山田では役柄によって歌い分けをするのを、そのときは独唱(?)なさったのが、とても印象的でした。
今回の演奏も、とても劇的で、華やかなものだと感じましたが。。

その後で富山清琴さんの“葵の上”を聴いて、圧倒されました。
今までも、地唄舞で何度か聴いているはずの“葵の上”が、こんなにドラマチックだったとは。。。
唄の迫力に言葉も出ませんでした。最初の一声から、ぐぐっ!と惹きこまれてしまいました。
女の怨み。。と言うよりは、悲しみ が伝わってきます。悲しみの、強さ。。
聴いていて、私の大好きな 梅若万三郎氏の“葵の上”を 思い出しました。
たしかに、怨念の強さ、怖さは充分に表現されているのですが、心に伝わってきたのは、悲しみ でした。
その、御息所の品格と、一人の女としての悲しみが 唄の強さと艶で、増幅されていたような気がします。
あらためて、富山清琴さんの凄さを思い知らされた気がします。
ありがとうございました。。。
happydance
2010/04/05 18:57

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