地唄FAN

アクセスカウンタ

zoom RSS 鳥辺山

<<   作成日時 : 2009/07/13 08:21   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 10

皆様 暑くなってきましたが如何お過ごしでしょうか?

喜音院様から積極的なコメントをいただき本当に感謝しております。

本日は「琉球組」アップから一週間になりますので、お約束通り
富崎師の2番目の演奏をアップ致します。
本日アップするのは「鳥辺山」です。


07B01

この演奏もSPからの復刻で、「琉球組」よりもさらに
ザーザー パチパチと言うSP盤独特のノイズがひどいですが
その演奏の格調の高さは類を見ません。

なおSP盤と言うのは概ね3分くらいしか録音出来ない物で
この演奏は21分以上有りますので、富崎師は一曲を中断しながら
7つの部分に分けて演奏したはずです。
演奏を注意深く聴くと途中でノイズの出方が明らかに変化する
所がありますが、それが録音の切れ目です。

しかしお聞きになると分かりますが、師の演奏は少しも
よどむことなく流れており、全く気になりません。
本当に凄いことだと思います。

師の歌の素晴らしさに関してはまた触れることも有ると思いますが、
今回は特に三弦の音の凄さに関してです。
SP盤の復刻と言うことで、音は現代のデジタル録音に比べるべくもないのですが
それにしてもこの三弦の鳴りは凄い!!と思わされます。
録音技術が未熟なこの時代、歌には気を使ったとしても、
なかなか三弦の音まではここまで素晴らしく録音することは難しかったと思います。
やはりこれは芸の力なのでしょう。

先日喜音院様が書かれていた自伝に記載があったかどうかは
定かではありませんが、関西から東京に出ていった時 或いは
東京で名をなして関西に戻った時 のいずれかに 検校仲間が

「富崎の三弦の音はおかしい。あんなに鳴るはずがない。きっと電気仕掛け
(要は今で言えばエレキ三味線)が有るに違いない」

と言って、実際に触らせて貰い、何の仕掛けもないので 
「これは芸の力であったか」と納得したと言う話が出ていました。

富崎師の三弦は同業仲間が聴いても、驚くほどの物だったのでしょう。

それでは皆様 師の演奏をたっぷりとお聞き下さい。

=======================================

皆様 如何お過ごしでしょうか? この暑さにいささかバテ気味で更新を怠っておりましたが、本日は「鳥辺山」に富山 清琴師の演奏を付け加えさせて頂きます。(2010/7/30)
唄・三絃 富山 清琴師
三絃 富信 清香師
箏 富山 美恵子師
による演奏です。


21A02

地唄FAN管理人です。 このたび ありす様が「鳥辺山」に歌詞・解説を補いましたので、反映させていただきます。本当に有難うございました。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 
 Special thanks to ありす 様  
                        2010/4/4
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

一人来て、二人連れ立つ極楽の、
清水寺の鐘の声、早や初夜も過ぎ四つも告げ、九つ心の闇路(やみぢ)をば、
照らすや否や稲妻(いなづま)の、光りし後の暗きこそ、
我ら二人が身の上よ、今はなまなか存(ながら)へだてを、したら憂き身に愛想もこそも、
尽きた浮き世やいざ烏辺野の、露と消えんと最期(さいご)の用意。
女肌には白無垢(しろむく)や、上に紫藤(むらさきふじ)の紋、中着緋紗綾(なかぎひざや)
に黒繻子(くろじゅす)の帯、歳は十七初花(はつはな)の、雨に萎(しお)るる立ち姿。
男も肌は白小袖にて、黒き綸子(りんず)に色浅黄裏(あさぎうら)、
二十一期(にじゅういちご)の色盛りをば、恋といふ字に身を捨て小舟(おぶね)、
どこへ取り着くしまとてもなし。
鳥辺の山は其方(そなた)ぞと、死にに行く身の後ろ髪、弾く三味線は祇園町、
茶屋の山衆(やましゅ)の色酒に、、乱れて遊ぶ騒ぎあり。
あの面白さを見る時は、染殿、其方とそれがしが、去年(こぞ)の初秋(はつあき)七夕の、
座敷踊りをかこつけて、忍び逢うたこと思ひ出す。
羽織かづいて茶屋ぞめき、二瀬(ふたせ)の玉に見つけられ、迷惑するを見る時は、
其方に私(わし)が無理言うて、口舌(くぜつ)したこと思ひ出す。
祇園林の群烏(むらがらす)、かはい、かはいの声聞けば、父母(ちちはは)のこと思ひ出す、
涙に道のはかさへ行かぬ、思ふまいぞと思ひはすれど、ここぞ浮き世の別れの辻よ、
早うござれと手に手を取りて、行けど歩めど、目に見ることも、今を始めの終はりよと、
追手の者や来たらんに、さあさあ最期急がんと、烏辺野の露(と)消えて行く。
見るに二人が目にもつ涙、
じっと押さへて、これ、お染殿、思ひ切らしゃれ、もう泣かしゃんすな、
私は泣かねど、それこなさんの、
いいや、其方の、いや、此方のと、
顔と、顔とを、見合はせて、一度にわっと嘆くにぞ、
一足づつに消えて行く。
遂にこの世の春降る雪と、折りふし早や寺々の鐘も撞(つ)き止(や)み、
夜はほのぼのと、烏辺山にぞ着きにけり。


<作曲者>
湖出金四郎(湖出市十郎)
岡崎検校改調

<曲種・調弦> 
二上り芝居歌物

<作詞>
近松門左衛門

<初出>
1711〜1716以前の刊と思われる『古今端歌大全』


歌詞は宝永三年(1706)、大阪岩井座ならびに京都の都万太夫座所演の
「鳥辺山心中」の道行からとっている。
この狂言は、武士菊池半九郎と祇園茶屋のお染とが烏辺山で心中したという巷説によるという。

光崎検校校閲の『絃曲大榛抄』(文政11年)に、その譜が、
正徳・享保(1711〜36)期の成立とされる『古今端歌大全』に
「鳥辺山心中」として詞章が収録されている。

義太夫の「近頃河原の達引」の「堀川の段」では、
やがて心中をするお俊伝兵衛の伏線として幕明きに、
盲目の老女が子供たちにこの「鳥辺山」を教える場面がある。
そこで演奏されるのは~女肌には白無垢や〜忍び逢うたこと思ひ出す」までであるが、
その時、この曲は心中物だから男と女の掛け合いでやりとりすればよい、と言って教えている。
現在の歌舞伎では、岡本綺堂作の「烏辺山心中」が、
二世左団次・二世松蔦によって大正4年上演されて以来、いわゆる新歌舞伎の代表作の一つとなり、
近年では寿海の名演が知られた。浄瑠璃は竹本で行われるが、
最後の幕切れの出語りに、この曲の前半の抜粋が利用されている。
なお、落語「出歯吉」でも「二人連れ立つ極楽の」の言葉を受けて、
この曲の一部が下座として用いられる。

「鳥辺山と時雨の松は心中道行きの文のみにて情死せしにあらず、
依って祝儀の席にも弾けり」(『皇都午睡』)

☆鳥辺山・・鳥辺野ともいい、京都の東山の西腹で、清水寺から西大谷に至る一帯をさす。
平安時代の昔から墳墓の地として有名である。


誠にありがとうございました。


「地唄FAN」は地唄の音楽事典としてお使い頂くことを目指してます。
以下から一覧表をご参照下さい。

作曲者別一覧表      五十音順一覧表      演奏者別一覧表






月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
 この曲について調べましたので書かせてください。
この曲は湖出市十郎(?〜1800)と申される方で一時金四郎と名のられたとのことです。他に有名な「黒髪」「十三鐘」がこの方の作品であるようです。
 地歌風には岡崎検校と申される方が改調されたとにことです。

 初代の吉住小三郎のお弟子で、江戸長唄の唄方で、上方にお出でになりその普及に努められたとのことです。
 
 「黒髪」とあわせて分かるのは、三味線の手はそれほど複雑ではないが、唄のパートは技術がかなり必要であることで、確かに唄方に得意な方の作品であろうかと思われます。
 唄で難所は音を丁寧に伸ばす箇所、跳躍する箇所、当たり前ですが台詞の部分でも(浄瑠璃のような)コトバ風に処理してはいけないので、飽くまで音楽的に歌い進めなければならぬ所でしょう。それから、もとが江戸ものなのでしょうか低い調子でなさる方がおられませんね。これも、もしかしたら約束事なのかもしれません。

(申し訳ございません、後々続きを書かせてください)
 
喜音院
2009/07/17 12:40
 三味線のパートに関してですが、単純は単純ですが、よく練り上げられているとおもいます。
 江戸長唄風節付けの八つ間で運ぶ部分が殆どですが、弾き出しや、「二人が身の上よ」、祇園町の件の合方、「ついにこの世の春降る雪」の伴奏などは印象的ですね。短一度、同度(2,3の弦のシャン)の重音も効果的に使われています。
(すいません、次に感想を申し上げます)
喜音院
2009/07/17 13:54
 恥かしながらこの曲を初めて聴いた時、哀れだが単調で詰まらない、と思い、小唄端唄程度におもっておりましたが、とんでもないですね。
 
 ただ、余程稽古しないと、特に曲のハコビや、アシライのニュアンスなど、ただ覚えただけでは到底分からないと思います。

 しかし師の演奏は立派ですねぇ。この曲がこんな豊かな世界を持っているとは思いませんでした。

 「一人来て二人連れ立つ極楽の」のあたりはまだ悲しくないのですね。ああ、本当に極楽なのかな、何だろうと感じますが、「早初夜も過ぎ」から、徐々に悲劇的様子が濃くなる、特に虚ろな感じが何ともいえませんね。
 鳥辺山へ急ごうとして祇園町のぞめきが聞こえる件も急ぐ足取りから、ぞめきの描写になる皮肉さ、見事です。曲の内容がどう変化していくか目に見えるようです。

 
喜音院
2009/07/17 14:43
そして管理人さまの仰るとおり師の弦の響きは実に充実しておられます。かといって力いっぱいはじいているわけでもなく、実に不思議です。弱音になっても音が充分に鳴っております。どの弦もそうですが、一の弦が堂々と鳴り響いております。これだけ響かせられる方は今いらっしゃらないかもしれません。
 

(毎度の長文すいません、次回からもうちょっと短くまとめます。)
喜音院
2009/07/17 14:55
「鳥辺山」や「葵上」「古道成寺」など昔の端歌物というのは難しい曲が多いですね。
三曲演奏などによく使われる手事物と違って、
教えられる先生が少ないというのもあるのでしょうけど、
歌い方にしても色々の技法があって、曲に仕上げるのは至難の業です。(ただ歌うだけなら手事物より簡単♪)

この曲もまさにそんな曲の一つだと思います。
個人個人で曲をどう解釈するのか、というのは違うと思いますけど、聴いているとああ趣深いなあと感じずにはいられません。
こうして比較して聴くと、やはり師匠弟子でも解釈は違うんですね。人間同じ考えを持つ人はいませんから、当然といえば当然なのですが。
最初の伝承の時は同じ弾き方をちゃんと守るのでしょうけど、何十年と試行錯誤していくうちに変わっていくのでしょうね。プロですね。
raimund
2010/08/09 10:55
地唄FAN管理人です。

「鳥辺山」や「葵上」「古道成寺」など昔の端歌物というのは難しい曲が多いですね。
>管理人
まさに仰るとおりだと思います。現時点でこの様な曲が絶えかかっているのには、幾つか理由があると思います。
一つは演奏者の問題です。このレベルの唄をきちんとした解釈の元に、お客様に内容を伝え聴かせ、楽しませるだけの力量を持った演奏者(唄+楽器)が数少なくなってきていると言うことだと思います。

二つ目は「聞き手の力量」によるところも有ると思います。手事物などは楽曲自体の持つ派手さも有って、何とか楽しさを感じられるのでしょうが、これらの曲のように 楽器<<唄 と言う様な曲になると普段からどの程度のレベルで聴いているかが問題になってくるのだと思います。従って演奏者が苦労して唄を仕上げてレベルの高い演奏をしたとしても全くその辺は評価せず「あの早いフレーズを綺麗に破綻無く弾ききった」と言うポイントのみを「聞き手」が評価すれば、次第に演奏される曲はその様な物が中心になっていくと言うことも有るのではないかと思います。

三つめはraimund様が仰っておられるような「教える先生が少なくなってきている」と言うことも実際にありますね。これも「習いたい」と言う人が多く出てくれば変化してくるのでしょうが・・・

比較して聴くと、やはり師匠弟子でも解釈は違うんですね。何十年と試行錯誤していくうちに変わっていくのでしょうね。プロですね。
>管理人
伝承を重んじる中にも、「演奏者の持つ現代性」「聞き手の要求に応える」と言う両方が自然に加味されて、時代に合わせて行くことで命が継続的に吹き込まれていくと言うことなのかも知れませんね。

有り難うございました。
raimund様 コメント有り難うござい...
2010/08/09 11:32
いろいろraimundから聴きました。
ありがとうございます。

「鳥辺山」聴きましたヨ。
私はこの清琴さんの録音の方が好きです。
適度な早さと物語性が迫ってくるような演奏に圧倒されます。これはかの「融」でも同じですけれど、簡単にやっているようでなかなかできません。
自分で弾くとテンポは安定しないし、
ツボはたまに外すし(問題外?)

まあとにかく大変な事なんです。
こういう歌に重視しなくてはならない曲は、
歌も大事だけれども、三絃も歌わないと盛り上がりませんよね。さっらとこなすのはやはりプロなんですねエ〜。

「古道成寺」春昇さんの完璧な歌と迫力に涙しましたが、
この曲は清琴さんの演奏、たいしたものですね。
藤枝梅安
2010/08/09 19:41
私も、「鳥辺山」では清琴さん、
春昇さんとまた違う新たな
表現を獲得されたような気がしました。
通常より低く調弦されていますよね?
これが面白い効果が出ていると思います。

それにしても、こういう芝居歌物では
富筋は圧倒的な強みがあるな、と思います。
手事物だけでなく、地歌の世界の
幅広さ、本当に面白いです。
芝居唄や浄瑠璃物があって、作物があって、
謡物があって、勿論組歌、長歌があって、
そういういろいろなジャンルが楽しめるのは、
クラシックが時代・ジャンルでさまざまに
楽しめるのと同じだな、と感じます。
古典だけでも本当に尽きぬ泉ですね。
ありす
2010/08/09 21:15
藤枝梅安様、raimund様 練習中に色々有難うございました。しかしやはり京都ですねぇ。曲目ゆかりのところにいらっしゃったとは、臨場感が違いますね。
練習中のところ色々ご面倒なことを申し上げて申し訳ありませんでした。でも無事にお届けできたようで安心致しました。
しかし同じ曲でも演奏者によってそれぞれ味わいが異なって興味が尽きません。「あぁ あの曲知ってます」では分かりえない事がありますね。またその時の自分の状態や理解力にも関係が有るようです。raimund様も「以前の曲にまた感動コメントするかもしれません」とおっしゃっておられますが、正に大歓迎です。その様に深く聞いていただけるというのは本当に感激です。

今後ともよろしくお願いいたします。
練習の邪魔にならなければ良かったですが・...
2010/08/09 21:51
地唄FAN管理人です。何時もコメント有難うございます。

確かに富山清琴師も自分の世界を持たれているように感じました。

こういう芝居歌物では富筋は圧倒的な強みがあるな、と思います。
>管理人
本当にそうですね。これらの曲を初めて聞くと地唄では無いような印象を持たれる方が多いのではないかと思います。単に「地唄・筝曲」と言っても色々なジャンルが有るのだと言うことをもっと多くの人に知っていただければなと思います。このブログがその様な事に少しでも貢献できれば嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。


ありす様 有難うございます
2010/08/09 21:58

コメントする help

ニックネーム
本 文
鳥辺山 地唄FAN/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる